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Twitterが世界にくれた一番の贈り物は「簡潔」の作法

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私がTwitterを使い始めてから6年になる、と誰かがもちろんTwitterで教えてくれた。その間私はかなり多くのことをこのサービスで楽しんだ。世界中の人たちとリアルタイムで繋がることもその一つだ。

しかし私がTwitterでいちばん有難いと思っているのは何かおわかりだろうか。「簡潔」[brevity]という考えをインターネット全体に広めたことだ。 意味がよくわからないって?調べてみよう。

brevity

名詞:
1. 文章あるいは会話における簡明かつ正確な言葉の使い方
2. 時間の短さ

私は概して話しすぎる。そう、おしゃべりなのである。何かにのめりこむと、すぐ周りの誰にでも話したくなる。それは相手が興味を持っているからではなく、ただ私が興奮しているだけだ。Twitterを使っている時の私は、とりとめのない話も、感動的な話も、その中間の話もすることが出来て、時には返信をもらうこともある。それはまるで・・・マジックだ。

私がTwitterで言ったことに返信が来る本当の理由は、簡潔さ私の備品の中に入れるようシステムが強制したからだ。そう、物事を短くコンパクトに保つ素晴らしい世界によって、人々はツイートをすばやく脳内に送り込むことが可能になり、返信したければそれもできる。Twitterというものの要領をまだ得ることが出来ず、いつも長いブログ記事にリンクしたり、リンクや画像を吐き出すだけの人たちもいる。それもクールなのかもしれないが、私にはTwitterの真の精神を見落としているように感じられる。

私は誰かが私をネットワークから切り離そうとする行動に腹を立てる傾向にある。Facebookからのクロスポストであれ、リンクのためのリンクであれ。私がTwitterを好きなのは、すべてが私の小さなストリームの中に直接含まれ、いつでも対話を始められる状態にある時だ。そこで私は何かをお気に入りにしたり、リツイートしたり、画像やビデオを見て、すぐに対話をしたりできる。

簡潔さは、それらすべてを可能にする

140文字

140文字の「制約」は、もともとそれが通常のテキストメッセージの長さだったからだ。実際には160文字だが、余計なユーザー名のために140文字になった。はるか6年前、人々が140文字では自分の思いを伝えられないと不満を漏らしていたことを思い出す。もちろんそれは、自分たちが慣れ親しみ居心地のいいものを守ろうと抵抗する人たちだった。

Eメールはやかましい。メールをいくらでも長く本のように書くことが可能であるという事実によって、人々は延々とおしゃべりを続ける。まさに私が実世界でやっているように。最悪である。しかし、TwitterやFacebookの近況アップデートが出てきて以来、人々がよりコンパクトで効率的なやり方で対話を始めたことに私は気付いた。余計なごみは、すべて脇へよけられた。

簡潔の勝利だ。

それは長い会話の出番がない、という意味ではない。創造性と愛が生まれてくるのはそこからなのだから。私はバーやコーヒーショップで、スタートアップのファウンダーから話を聞くのが好きだ。しかし、知らない誰かかメールで売り込んできたら、私には30段落も我慢できない。Twitterは私に、簡潔であること、そしてごくわずかの自由に使える文字を尊重することを教えてくれた。私のメールは確実に短くなった。

Twitterを役立てるためには、必ずしもツイートする必要がないことを思い出して欲しい。

オフライン

実際Twitterは、私がオフラインで対話するやり方にも影響を与えた。例えば興味を持ったことを誰かに話す時、「興味がなければそう言ってくれ。気を悪くすることはないから」と前置きするようになった。そうやって相手の時間を思いやることによって、私の悪名高き退屈で長いおしゃべりから両方を救うことができる。

私がTwitterというものを真に理解したのは、フィラデルフィアの友達、Alex Hillmanがフー・ファイターズのチケットが余っていることをTwitterで知らせてくれた時だった。私は電車に乗る寸前にそれを見てすぐに飛び降りた。2人でおおいにライブを楽しんだ。

この効率的なコミュニケーションは、テクノロジーや音楽や人生について語る時間を山ほどわれわれに与えてくれた。私はそのことでTwitterに、そしてAlexの簡潔さに感謝している。そして、もちろんこの記事は皮相的だった。

(要約:Twitterは私の口数を減らし耳を傾けさせるのに役立つ)

[写真提供:Flickr

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(翻訳:Nob Takahashi)