APIに著作権を認めてはならない–EFFが連邦判事を説得するための事例談を一般から募集

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EFF

Electronic Frontier Foundation(EFF)が、連邦控訴裁判所に、APIに著作権を認めることはきわめて良くない、と説明するための助力を求めている

今年の初めには、OracleのGoogleに対する訴訟で、合衆国地裁判事William Alsupが、APIは著作権を持てないと判決してGoogleの勝利となった。その判決はテクコミュニティに安堵をもたらしたが、しかし勝利は短命だった。その後Oracleは控訴し、判事3名から成る裁定委員会がAlsupの判決の可否を審査することになる。今回のEFFの助力要請の背景には、このような経緯がある。

Alsupは、コンピュータのプログラミングを学んだことのある、今どきレアな判事だった。しかし今回の3名の判事が、アプリケーションとそれが利用するAPIとの関係といった、専門的な知識を共有しているかは不明だ。そのため、今回は勝ちが危うい感もある。EFFはAlsupの判決が出たときに、次のように声明している:

APIを著作権付与可として扱うことは、相互運用性に深刻な負の影響を及ぼし、したがってイノベーションを阻害する。APIは遍在的であり、あらゆる種類のプログラム開発の基盤である。ソフトウェアデベロッパの全員がAPIを使って他のソフトウェアと共動する自己のソフトウェアを作っている、と言っても過言ではない。

EFFは、ソフトウェアエンジニア、デベロッパ、そしてAPIから利益を得ている者からの助力を求めている。求められているのは、次の二グループのどちらかに属する人びとだ。

  • 相互運用性や競合やイノベーションのために、サードパーティのAPIを統合し、APIの呼び出しを行い、あるいはAPIを使ったことのある者。
  • APIを実装することによってプロバイダのユーザベースの増大を助け、あるいはそのデベロッパコミュニティの利益に資したことのある者。

あなたの記述をEFFに送るためには、このアドレスにメールをする: api@eff.org。EFFはそれらの記述を使って判事たちに、なぜ彼らがAlsupの先例に倣ってAPIには著作権を付与できないと裁定すべきかを説明する。

APIへの著作権付与は、滑稽だ。Polymorphic Ninjaはそれを、誰かがトマトの権利を有していると主張することに、なぞらえている。トマトそのものには価値があるが、しかしそれが著作権を持ったら、トマトソースを作ることはきわめて難しくなるだろう。

さらにまた、APIはたしかに創造的努力の産物ではあるが、それらは、もっと大きなものの部品にすぎない。それ自身では、ほとんど何もできない。料理に譬えると、レシピーの材料がAPIに相当する。完成した料理が、アプリケーションに相当する。料理の材料と同じく、APIにも、自家製がありベンダから購入したものもある。しかし、いかなるベンダにも自分がトマトを発明したと主張する権利はなく、他の誰もトマトを育ててはならないと言う権利もない。仮に彼らが、トマトの栽培方法を最初に発明発見したのは自分たちだ、という主張の説得に、なんとかして成功したとしても、それでも彼らに前述の権利はない。もしそのような権利があるとしたら、それはトマトの価格にどのような影響を及ぼすだろうか? 類似のフルーツを、正直にであれ不正にであれ、発明したと主張する人びとが、毎年何万人現れるだろうか? そして、トマトに依存する優れた料理が何千種類、発明されずに終わるだろうか? その可利用性が管理されていて、訴訟が怖いがゆえに。あるいは、アーチストが特定の筆づかいについて、自分がそれを“発明した”がゆえに他のアーチストによる使用を禁じるなら、どういうことになるのか。APIは、このようなレベルの抽象化と表現に近いものなのである。

テクノロジというレベルでは、APIが著作権を持つと各人各社によるイノベーションが非常に困難になる。それは個々のアプリケーションを孤立させ、BoxやDropboxのようなサービスの開発を至難にする。今誰もがやっているような、複数のアプリケーションを統合/組み合わせて使うということが、不可能になる。連邦判事たちが、人びとの言葉に耳を傾けることを期待したい。もしも彼らがそれをしなかったら、巨大な混乱が結果し、ほとんど誰もが敗者になるだろう。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))