Facebook、使いすぎは健康に有害かもしれないことを認める

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これをソーシャルメディア自身によるソーシャルメディアの壮大な誤りだと呼ぶ人もいるかもしれない。私はこれを、Facebookと世界との間に起きた素晴らしい瞬間だと思う。たぶん両方だろう。今週、Facebookの公式Facebookページに次の書き込みがあった。「バースデーケーキはみんなが集まるためにある。友達が集まって祝福する場を提供する。しかしケーキの食べ過ぎは健康によくない。つまりバースデーケーキはFacebookによく似ている」

Facebookには何かがひらめいた瞬間があったようだ。一年前同サービスの公式統計ページには、ユーザーがサイトで過ごした時間が誇示されていた。IPO前、最後に公式発表があった1月、一日当たり総計105億分だった。しかし結局Facebookは、これは必ずしも良いことではないことに気づいた。現在Facebookはユーザーが何時間そこで過ごしたかではなく、いくつの事柄を人々とシェアしたかによって自らを説明するのを好んでいる。

優れた製品は効率が良い。最高の価値を手に入れるために必要な時間は、最小であるべきだ。単にサイトで費やす時間を増やそうとすることは、貧困なデザイン判断に繋がる。さらには不幸せや不健康にも繋がる。

要するに情報には中毒性がある。われわれは探すことも学ぶことも大好きだ。これは進化的特長だ。ものごとを知れば知るほど、生き残る確率が高くなる。しかしインターネットのおかげでそれほど膨大な情報が手の届くところにあると、その中毒は時として深刻な害を与える。私が友達との集まりに遅れたりパーティーで隅の席を選ぶのは、FacebookやTwitterやニュースその他のウェブコンテンツをチェックせずにいられないからだと自分でもわかっている。

私はFacebookニュースフィードの「アンビエント・インティマシー」が有益であることを心から信じている。疎遠になりがちな遠方の知り合いと繋がることができ、支援のネットワークを提供し、われわれをよりオープンかつ寛容にし、リアル世界の対話をとりもってくれる。

しかし同時に、われわれを現実から引きずり下ろして他人の過去について読ませることによって、われわれを疎遠にする。そしてもしわれわれが、それを人と人とのハグや握手や心からの笑いの代わりにしようとすれば、関係は破綻する。複数の研究 が、Facebookの利用と不幸とを結び付けている。Facebookを使っていると、他人の方が美しく、外で楽しむことが多く、自分より人気があると思うようになるからだという。

こうした負の結果の殆どが、過剰な利用によるものだ。友達一人と電話で話し、ニュースフィードの記事を100本閲覧した後は、おそらく気分はよくなっているだろう。

Facebookページのあの書き込みは、おそらく一人の従業員がよく考えずに書いたものだろう。しかし、たとえそうであっても、Mark Zuckerbergの会社の思いやりを感じさせる。

将来のある日Facebookは、それ自身が一部をなしているに違いないインターネット中毒の問題と、直接関わることになるかもしれない。しかし今のところFacebookは、われわれを傷つける恐れがあることを自認している。これは、このサービスがわれわれから奪ってきた多大な時間に関して、中の人々が多少なりとも罪の意識を感じている証かもしれない。もちろんこれは、毎日飲み込んでいる200人の一生分の時間について、残酷に高笑いするよりずっといいことだ。

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(翻訳:Nob Takahashi)