たいへんだ!小学校から手書き文字の教育が消える(タイピング優先に)

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手書き文字は、ドードー鳥や新聞の道を辿るのかもしれない。カンザス州が手書き文字の教育を廃止して、タイピングの技能習得を優先することを、検討している。“親たちは、子どもたちをテクノロジの世界に備えさせるために学校が何をしているのかを知りたがっている”、Wichita Catholic Diocese(ウィチタ市カトリック管区)の教育長Bob Voborilがこう言っている。“それが、親たちのより高いプライオリティなのだ、われわれが書法の技芸(penmanship arts)と呼んできたものよりも”。

火曜日にはカンザス州教育委員会が検討会を開き、手書き文字が今後の初等教育において持ちうる役割について議論し、住民アンケート調査を行う。Wichita Eagle紙の記事によると、同市では手書き文字の授業が減っているが、それを州教育委員会が果敢にもカリキュラムから全廃するかどうかは、まだ分からないという。

ウィチタ市教育委員会のWalt Chappell委員は、“テクノロジはすばらしいが、それが使えない場や機会もある。自分の手で文字を書かなければならない状況は、人生の至るところにある”、と言っている。

46の州が採用している全国共通カリキュラムCommon Coreは、手書き文字の教育について何も明記していない。手書き文字離れの傾向は、一部の教育専門家たちを困惑させている。最近の一連の研究が、文字を手書きすることは脳の発達を助ける、と言っているからだ。たとえばインディアナ大学の研究者たちは、4週間のあいだ文字を活字体で書いた子どもたちは、それらの文字を口頭で言った子どもたちに比べて、より大人に近い脳の活動を示した、と報告している。同大のKarin Harman James教授は、“子どもたちにとって、文字を手書きすることはきわめて重要である。上手下手を問わず、とにかく書くこと、書き方を練習することが、重要なのだ”、と言っている。

しかしどれだけ価値があっても、電子製品の氾濫に伴って、手書き文字はその不便さゆえに、絶滅の危機に瀕するのかもしれない。

さて、おかしな作り話を書いて、一部の過敏な人たちを挑発する趣味はぼくにはないけど、ちょっと気になることがある。合衆国憲法は、官報のような印刷文書ではなく、手書き文字による文書で発布された。そのことを、当時のリベラルなはずの教育体制が皮肉にも、アメリカの建国に関わる文書を、国家の標準カリキュラムにおいて、次世代にとって読めないものにしようとした、と非難する人びとが一部に存在する。この件については、ぼくなりの見解もあるが、それをここに書くのはやめておこう。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))