MacBookが主流のモバイル時代、かつてApple社の救世主となったiMacを使う意味はなんだろう?!

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2012年にもっとも頻用したモバイルアプリはほとんどPC-Web時代の常連ばかり

a歴史的にみて、今のAppleを支えているのはiMacだ。ご存知のように、iPod、iPhone、そしてiPadが登場して、次々と新しい世界を切り開いていった。しかしジョブズが「ボンダイブルー」の初代iMacを発表した1998年、Appleはほとんど死に体だったのだ。iMacのおかげで、企業としてのその後を考える時間を稼ぐことができたのだった。

時は移り2013年。状況は1998年の頃とは全く異なる。先に触れたiPod、iPhone、ないしiPad以外の「トラディショナル」PCとしては、今やノートブックが主流のようだ。実際、Appleの売上の4分の3も、MacBookシリーズによるものとなっている。

しかし、iMacも未だその命脈を保っている。

先ごろ登場したiMacシリーズの中で、こちらではフル装備の21.5インチ版を入手して使っているところだ。登場時の記事はこちらにある。旧版との比較スペックの確認記事などもある。当時からいろいろと使ってみて、このiMacが進みつつある方向性などについてもいろいろと考えてみた。

まず振り返ってみると、2台目に購入したMacがiMacだった。全体的な印象からすると、現行のものとさほど変わりのないものだ。この時購入した2004年版iMac(白プラスチック)から、現行の支柱上に本体を配置するモデルとなった(ちなみにそれまではベッドサイドランプのように、本体は下にある形式だった)。Appleはこの上付きモデルが大いに気に入ったようで、以降はずっとこの形が踏襲されることとなる。

数々リリースされてきたこれまでのモデルと何が異なるかといえば、ともかくその薄さに注目が集まるだろう。薄い部分の厚みが5mmしかない。1代前のものと比べても、まるで動作しないモックアップのように見えるほどだ。80%も薄くなっている部分もある。

もちろんモックアップなどではない。それが証拠に背面はさまざまなパーツを組み込む為に瘤のように盛り上がっている。但し、この瘤部分があっても、先行モデルと比較すると容積比で40%もコンパクトになっているのだ(ずいぶん前に光学ドライブ搭載をやめたおかげもある)。

と、いうわけで背面も十分鑑賞に値するマシンとなっているのだが、ふつうは背面ばかりを注視することもないだろう(但し通路側に背面が位置する可能性も考えてか、今回から背面のAppleロゴがかなり大きくなっている)。話を変えて、本来じっくり見るべき前面のスクリーンを見てみよう。

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今回のiMacがかくまで薄くなっているのは、自社プロダクトの他製品から転用したディスプレイの薄型化技術によるところが大きい。ディスプレイだけで5mmの薄型化を成し遂げたのだ。iMacのフロントパネルはこれまで、内側からレーザー溶接されていた。これに現行版よりも大きなスペースを必要としていたのだ。最新のiMacでは摩擦攪拌接合という技術を用いている。たいていの人は見てもわからない技術だが、この技術なしに新しいiMacはあり得なかったのだそうだ。

まあ、見えないところに使われている技術なので、一般の利用者には関係のないことなのかもしれない。見てわかる違いを生んでいるのは液晶ディスプレイ前面に用いられている技術だ。従来存在していたディスプレイとガラスの間の2mmの隙間をなくしてしまったのだ。これは新しいiPhoneでも用いている技術だ。これも旧モデルと比較してみないと、その差はわかりにくいかもしれない。しかしこの技術によって、まるで画面が飛び出してくるような迫力が生まれているのだ。

さらに画面について言えば、反射を75%もおさえたことも特筆に値する。以前のiMac(筆者のところには旧iMac含めて3台のiMacがある)では、暗い背景のアプリケーションや、外側が非常に明るいときなどは、まるで鏡をのぞき込んでいるかのような感じがしたこともあった。今では反射が発生するのは画面周囲の黒い帯部分だけと言っても良いような状態になっている。

スクリーンが「レティナ」でないことについて不満を持つ人は多いだろう。iMac史上最高のディスプレイであるとは思うが、ふだんからレティナディスプレイを見慣れている人は少々がっかりするに違いない。私もそのひとりで、実は旧版のiMacからレティナディスプレイ搭載の15インチMacBook Proに乗り換えたのもそれが理由だ。文字の読みやすさなどを見ると、レティナでないことが一目瞭然となっている。

ただ、これも利用者の使い方次第という意味はあるかもしれない。普段からレティナを使っていない人や、画面を遠くから見る人なら、レティナでないこともさほど気にならないかもしれない(遠くはなれてしまえば細かな違いはあまりわからなくなる。これはすぐ目の前で使うiPhoneの方がMacBook Proよりも高いピクセル深度を持っている理由でもある。ピクセル深度の差はあっても双方ともに「レティナ」であり得るのも同じ理由からだ)。筆者自身について言うと、iMacも目の前で利用することが多い。それで画面の違いがどうしても気になってしまう。

しかしレティナであるかどうかよりも、画面サイズの大小こそが問題になる人も多いに違いない。これまでに15インチを使っていた人にとって、21.5インチモデルでも「広大」に感じるだろう。もちろん27インチになれば快適さは一層増すことになる。それに27インチのレティナディスプレイは、そう簡単に実用化しないだろうということもある。あまりにコストがかかりすぎるのだ。実現されるにしても、プロフェッショナル向けのシネマディスプレイでの実現が先になるだろう。iMacに搭載されるのは、それよりもしばらく後になるに違いない。

またiMacはMacBookにないもの(少なくとも今のところ)を持ってもいる。それは「Fusion Drive」だ。名前はマーケティング戦略的に付けられたものなのでよく意味がわからないかもしれないが、ともかくすばらしいソリューションであることは間違いない。何が「フュージョン」されているのか。すなわち従来型ハードドライブの大容量と、そしてフラッシュストレージの速度的アドバンテージを併せ持つよう設計されているのだ。OS X Mountain Lionで新しくなったソフトウェアは、データをどこに保管すべきなのかを自動的に認識する(使い方に応じて判断される)。これによりハードディスクとSSD、双方のメリットを十分に活用することができるようになっているのだ。

これは機能面としてのみではなく、実用的にも非常に重要なものだ。すなわち、iMacは家庭内でも各種デバイスの「ハブ」としての使い方が想定されるからだ。ハブとして利用するからには、まず容量が必要だ。iMac上のFusion Driveは最大3TBとなっている。筆者の利用しているマシンは1TBを搭載しているが、このくらいあれば相当に快適だ。速度面でもフラッシュストレージを搭載しているMacBookと変わりない感じがする。従来型ハードドライブしか搭載していない前世代iMacと比べると、それはもう雲泥の差を感じる。

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旧機種の話のついでだが、これまでのiMacでは使っているうちにあまりに熱くなってしまうのが大いに不満だった。長く使った後、マシンの裏側は熱くて触れないほどになっていたものだった。マシンが一所懸命に仕事を始めると、すべての熱が筐体上部にあるファンに集中して、かなりの熱を発していたのだ。新型iMacはかなりの熱対策がなされているようだ。筐体上部を触ってみると確かに温かくなっているようではあるが、ほとんど気づかない程度のものとなっている。

新機種では背面中央に設置されたファンがうまく機能しているように思われる。何度か、ファンが大きな音を立てる瞬間を経験した(ゲームをテストしているときと、Flashビデオを再生しているときだった)が、基本的には静かでありながら効率的に熱を逃しているらしい。ちなみにAppleによると、アイドル時のエネルギー消費量は50%低減しているのだとのこと。これもやはりメディアハブとしてのiMacに重要な機能だろう。ハブとして利用するからには、未使用時にも電源は入っていることが多いからだ。

「ハブ」という言葉を多用しているが、それは今後のiMacのあり方をずっと考えているせいでもある。MacBookやiPadが活躍する世界で、iMacが果たすべき役割はいったい何なのかということを考えているのだ。先にも触れたが、まずは大画面であるということが、自宅の仕事場でもオフィスでも優位に働くだろう。ただ、最近では多くの人がノートパソコンを外部の大画面モニタに繋いで利用している。あるいは外部モニタを繋ぐ必要すら薄れてきている。すなわちレティナディスプレイが広まり、またいろいろなコンテンツもレティナ画面を意識してデザインされるようになってきている。

あるいはiMacのメリットとは、搭載されているFusion Driveにあるのだろうか。しかしこれが優位性をもつのは、データがローカルに保存される場合のことだ。iCloudなどのサービスが普及することにより、データを手元に保管する必要性は薄れてきている。またFusion Driveは結局MacBookにも搭載されることとなるだろう。Mac miniには既に搭載されている。

速度面でのアドバンテージもないではない。3.1GHzのi7プロセッサに16GBのRAMを積んだiMacはかなり高速だ。しかし筆者としてはスペックは死んだ説を主張している。論拠は、世にあるマシンのほとんどが、かなりの目的については十分過ぎるスペックを持っているということだ。さらなるハイスペックを必要とするのであれば、iMacなどではなくMac Proを選択するのが普通の考え方ではなかろうか。

価格面での魅力がないとは言えない(21.5インチなら108,800円から、27インチなら154,800円から)。しかしMacBook Proの方もさらなる低価格版が出ている(13インチの非レティナモデルは102,800円から)。

個人的には、最新版iMacがAppleの送り出した最強のデスクトップコンピュータであると思う。しかしいったいどれほどの人が、その人の今後の人生においてデスクトップコンピュータを必要とするのだろうか。時代はポータブルを目指し、そしてモバイルが日常になってきている。そしてそうした「ポータブル機器」ですら「十分なスペック」を持ちつつある(MacBook Proについては言うまでもない。iPadやiPhoneも間もなくその域に達する)。iMacに残された役割というのは、物理的なスクリーンとしてのものかもしれない。期待されるのは、ノートパソコンやモバイルデバイスからのコンテンツを表示するための出力装置としての役割のみということなのかもしれない。スタンドアロンのデスクトップコンピュータの役割というのは終わりを迎えつつあるのではなかろうか。

但し、まだ完全に「終わった」というわけではない。仕事場ないしオフィスでデスクトップが必要だという場合、iMacがかなり有力な選択肢であることは間違いない。筆者の場合はフル装備にした27インチモデルを購入すると思う(メモリは32GBまで搭載可能だ)。ただ、この機種すらも「必須のデバイス」というわけではなくなってしまっている。これまでは感じたことのない不満足感のようなものを感じてしまうのだ。MacBook Proの速度で必要十分であるし、またどこにでも持ち運ぶことができる。iMacに望むのは「大画面」ではあるが、先述のように「レティナ」でないというところにひっかかりを感じる。

結局のところ、iMacを使い続けているのは一種のノスタルジーとでも言うべき心境からなのかもしれない。使い始めた頃からのiMacと似たような外見を持つ。いろいろな思い出を感じさせてくれたりもするのだ。あるいはApple社を救ったマシンへのオマージュということなのかもしれない。

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(翻訳:Maeda, H)