Snapchat(製品・サービス)

利用者の意図を解さない愚かでぶざまなFacebookの「グラフ検索」、結局失望を呼んで消え去る定め?!

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facebook graph searchFacebookが発表したばかり(まだベータ版となっている)のグラフ検索を使えばいろいろなことがわかるようになる。たとえばどの友達がサーフィン好きで、ハイキングが好きなのは誰か、あるいはしょっちゅうお茶をしに出かけているのは誰かなどが簡単にわかる。あるいはそういう一般的なことだけではなく、「秘密」めいたこともわかる。たとえば誰が性差別主義者であり、あるいは誰が人種差別主義者なのかといった情報が手に入る。例えば、こちらのGizmodoの記事(驚いてしまう)を見てみて欲しい。

ところで、グラフ検索のおかげで、グラフ検索の正反対とも言えそうなサービスにも注目が集まることになった。Snapchatのことだ。ある意味でFacebookの正反対を行くようなサービスだと言えよう。保存データの有効活用を考えるのではなく、役割を終えたデータはさっさと削除してしまおうという方針をとっている。

ご存じない方のために少し説明しておくと、Snapchatというのは写真チャット系のアプリケーションで、一定の時間(1秒から10秒の間で設定することができる)が過ぎると送ったメッセージを自動的に消去する。つまり、メッセージの中に、妙な趣味についての言及や、ちょっと他人には言いにくい内容があったとしても、それは当事者間の記憶にしか残らないものとなるのだ(もちろんキャプチャしておいたり、写真に撮っておくことはできるだろう。しかしそれはまた別の話だ)。さまざまな行動記録が未来永劫残っていきそうなデジタル時代にSnapchatというものが登場して、そして人気を集めたというのは、なかなか興味深いことだと思う。

Facebookの方は、たとえ「勢い」によるものであっても「いいね」をクリックすればデータとして残しておく。たとえば2007年にFacebook上でバーバラ・カートランドの小説に「いいね」したかどうかなど覚えている人はほとんどいないだろう。しかしFacebookはずっと覚えておき、そしてグラフ検索によって「いいね」した事実を再活用しようとする。

グラフ検索の機能を支えるのは、もちろんプログラムだ。つまり、どういう意図で「いいね」をしたのかなどということを判断できるわけもない。意図は全く無視されて、結果だけで注目されることになる(いわゆる「ダーティー・データ」問題で、これへの対応はFacebookも、そして広告出稿者も悩むことになる。脊髄反射的に投入されたデータも多く、真実を反映していないことも多いのだ。

単なる仲良しと結婚していることになっているティーンエイジャーや、映画の中にしかないはずの学校で働いている人、はたまた「チャーリーのチョコレート工場」で働いている人もいたりする。あるいは写真を借用してブラット・ピットのように振舞っている人もいる。もちろんそれ以外に、「いいね」とも思っていないのに投稿した「いいね」データが山ほど存在する。Facebookの「偽・いいね」についてはこちらの記事も参考になるだろう。結局のところ「いいね」は「いいね」という心の動きとは連動していないということが書いてある)。

データの「活用」ということについては、懐疑的な態度をとる人が意外に多いのかもしれない。GooglePlayで公開されたAndroid版Snapchatも、この30日間でダウンロード数を100万から500万に伸ばした。Angry Birdsほどではないにせよ、かなりの数を稼いでいると言えよう。これは、若い人々は自分に関するデータを絶え間なくオンラインに流してもなんとも思わないという見解に反する事実が表面化しているのかもしれない。Snapchat利用者の正確な年齢別データはまだ入手できていないが、さまざまな状況から判断するにティーンおよび若者(13歳から25歳程度)が多く利用しているようだ。この年令というのは、しばしば「ポスト・プライバシー世代」と呼ばれる。しかしプライバシー意識というのが捨て去られてしまったわけではないようだ。墓に埋められてしまったかのように思えたプライバシー意識だが、改めて掘り起こされつつあるということもあるようだ。

Snapchatの大ヒットは、データの有効性というものを改めて考えてみるきっかけとなるだろう。プライバシーに関するものについては、自分の記憶の中に留めておきたいという欲求がかなりあるのかもしれない。デジタル時代にも、自分の行動の痕跡は、実生活におけるもの同様に、徐々に薄れていって、いつかなくなるものであって欲しいと願っている人がいるということを意味するのかもしれない。蓄積データの活用ということを考えているFacebookでさえも、PokeというSnapchatクローンを作る必要性を感じた。これは新たな可能性を示す動きだとは言えないだろうか。技術をヒューマナイズして、「忘却」の仕組みを組み込むことで、『1984年』風な恐怖を和らげることができる。大ヒットを飛ばせばFacebookが恐怖するような仕組みを作ることさえ可能かもしれない。

結局テクノロジーというものも、もう少し「人間性」を考慮にいれるべきなのかもしれない。「ストーカー」風の仕組みを外すことで、人間と共存できる明るい未来が開けていくということもあるだろう。ここまでは細かな個人データを大量に蓄積するサービスが増えてきた。あらゆるデータをすべてひとつのデータバンクに貯めこんでおくことこそが大事だという考え方が主流を占めてきた。それが本当に利用者の役に立つのだろうか。真意と異なるデータや、あるいはことさら大げさな内容を残しておいても、それらが役に立つことなど全くないのかもしれない。グラフ検索の機能を、英国在住で、10代からFacebookを使っている20歳前後の女性に説明してみた。彼女の感想は「いったい何の役に立つの?」というものだった。サーフボードを持っている友達がサーフィン好きなのは当たり前で、旅行好きの人が大晦日カウントダウンにニューヨークに旅行したりするのも自然なことだ。そうした情報は友達であれば既に知っていて、わざわざ検索する必要もなかろうというわけだ。

グラフ検索が発表されて、TechCrunchの同僚であるJosh Constineは「Facebookのグラフ検索は、プライバシーを利己的に感じさせる」という記事を書いている。自分の考えや知識、好みなどを公にしないことによって、そこから利益を受けられたかもしれない人の権利を侵害する可能性があるということだ。しかしこれは逆も言えると思う。何でもFacebookでシェアすることにより、「過共有」状態になる。すなわち意味のないデータを大量に共有することにより、データから何かの意味を引き出そうという作業が全く機能しなくなることもあると思うのだ。

尚、グラフ検索でどのようなデータを活用するかはプライバシー設定から調整することができる。しかしFacebook上でのプライバシー絡みの操作はいつもそうなのだが、いったいどうすればどのような効果を生み出すのかがわかりにくい。どうすればどうなるのか、それを理解するまでにはさまざまな設定を試さざるをえないことになるだろう。しかし面倒だからと放置すれば、自分のプライバシーが何の断りもなく広く公開されてしまうことにも成りかねない。誰もが何らかの騒動に巻き込まれる可能性を持つことになってしまうことも考えられる。

グラフ検索のようなツールも、あるいはソーシャルネットワーク自体も、個人出自のデータをさまざまな切り口から再利用することを目的にしている。時系列に見せたり、あるいは検索機能で見せたり、見せ方自体にはさまざまなやり方がある。多様な機能を持つようになり、そして利用者としては個人的なデータを公開されないようにするオプトアウトの方法すら非常にわかりにくいものとなってしまっている(公開しているデータをいろいろと繋ぎあわせて、むしろおかしな人物像が作り上げられる危険性もある)。個人データの再利用機能を強化しようとする動きは、危険な綱渡りのような意味ももっている。Facebookのような運営会社自身についても、自らが御すことのできる範囲を超えて、カオスに向かって驀進しているように感じるところもある。

これとある意味で対極をなすのがTwitterだとも言えるかもしれない。利用者に明確な「リミット」を提示しているからだ。そのリミットとはもちろん「140文字」の文字制限のことだ。また利用者自身のツイートを常に表示していくようなサイトデザインも、Twitterが提供している機能をわかりやすく提示しているという意味で親切なものとなっているように思う。

データを蓄積して、それらをまとめて提供するというのは、散発的に小さなデータを共有することとは異なる意味を持つものだ。過去に公開したものなので、改めて全てを再利用したところで問題はないということにはならないだろう。Facebookが投稿データをどのように使おうが気にしないという人はいる。しかし自分のデータを再活用して欲しくないと考えている人もいるのだ。もちろん、それであれば全てのデータを削除してしまえば良いというのはひとつの正論ではあるだろう。しかし現実社会ではストーカーやサイコな人しか持たないような情報を、広く一般に提供してしまうというのは少々問題有りだと思うのだ。

これまでに友達や家族や恋人、あるいは他人と共有してきたデータはジグソーパズルのようなピースに分かれており、したがって全体としてのプライバシーが暴かれてしまうような危険性はないという論調もある。しかし、だから問題がないということにはならないはずだ。ある部分的なデータによって自分を完全に表現できることなどあり得ない。しかしデータ還元主義的アプローチからは、さまざまなデータを集めて個人を表現しようとする。データを有効活用することで利便性が向上するのだと言いつつ、結局誰の役にも立たない架空の存在ばかりが跋扈することになるのかもしれない。

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(翻訳:Maeda, H)