デバイス自体の重要性が低下するスマートな未来

次の記事

Apple、Q3決算を発表―売上、利益ともアナリスト予想を上回り、株価は5%上昇

【編集部注】執筆者のTom Goodwinは、Havas Mediaにおける戦略・イノベーション部門のシニアバイスプレジデント。

スマートフォンがポケットの中に入っている今では、Thomas Watsonの「全世界でコンピューターは5台ほどしか売れない」という有名な発言を笑うのは簡単なことだ。しかし、彼の予測のズレが40億台ではなく、たった4台だったとしたらどうだろう?

2000年代初頭、私たちは高価なストレージ機器や遅い通信速度が普通の時代に生きていた。そんな中未来を予測しなければならない人は、将来的に全てのデバイスがこれまでに作られたものを全て記録できるくらい情報処理機器やストレージが安くなるのか、もしくは、全ての情報を遠隔地に保存できるほど、将来通信速度が高速化し情報を遠くまで届けられるようになるのか、というジレンマに陥っていた。

当時から見た「将来」では、どちらもほんの一部が現実となっており、ローカルとクラウドベースのストレージという妥協案に私たちは落ち着いた。

後述の通り、未だに両者の戦いは続いているものの、あえて言えば、デバイスよりもクラウドに軍配が上がりつつある。スマートフォンは明らかに今後も洗練されて行くだろうが、そのペースは加速しているとは全く言えないし、むしろスマートさは段々と、そのデバイス用に作られたソフトウェアや、実装されているプラットフォーム、もしくはGoogle NowやCortana、SiriといったAIへのインテリジェンスの全面的なアウトソース自体に依存するようになっている。

事実、私たちは驚くほどシンプルな機器が蔓延していることに気付かされる。Amazon EchoやGoogle Homeのようなデバイスは、実質的にマイクとスピーカー、低音を生み出す大きなチューブ、そしてクラウドへの接続性だけで構成されている。クラウド上に全てのスマートさが詰まっていて、そこで情報が処理されているのだ。自動運転車は、道路状況や最短経路などの情報にアクセスしながら、全ての判断をローカルで行うようになるだろうか?それとも、単にデータをどこか別の場所にある情報処理拠点に送信し、指示内容を受け取るだけになるのだろうか?ヒューマノイドロボットが登場しても同じ問題が浮上してくる。

実際のところ、恐らく私たちは電子機器の役目について考え直し、電子機器とうまく機能しあうシステムの観点から考えるはじめる必要があるだろう。携帯電話やソフトウェア、ハードウェアの最小単位で考えるよりも、複数のデバイスや、プログラム、パートナーシップを含めたシステムという観点で考える必要があるということだ。

この考え方の変遷についてよく理解するためには、それぞれ7、8年毎に起きた4段階の変化(アナログ機器の普及、デジタルへの収束、デジタルオプティマイゼーション、システム統合)に沿って、電子機器発展の歴史を振り返る必要がある。

アナログ機器の普及

20世紀末頃におきたメディアのデジタル化以前の電子機器は、今日のそれとは全く異なる姿をしていた。メディアは全てモノとして存在し、今とは何もかも違っていただけでなく、各メディアは記録されている物理的なデバイスに基づいた名前がつけられていたのだ。

私のiPodは、3つの音楽デバイスに取って代わったが、最終的にはスマートフォンの登場で捨てられてしまうこととなった。

1995年頃、私はテレビ、VHSビデオプレイヤー、ウォークマン、ディスクマン、コードレス電話、デスクトップPC、CDプレイヤー、オーディオ機器のほか、それ以外にもたくさんのデバイスを所有しており、毎年何か新しいテクノロジーや、新しいエンターテイメントの手段が生み出されていた。1997年にはMDプレイヤーが登場し、1998年にはレーザーディスク、2000年にはDVDプレイヤーが誕生した。この時代は、「デバイスの絶頂期」にあたる言える。一例として、レコード店ではそれぞれの物理的な形式に合わせて、同じアルバムを同時に数種類販売しなければならないことがよくあった。

デジタルへの収束

デジタル化がその全てを変え、物理的なメディアがシンプルになっていく一方の時代に入った。私のiPodは、3つの音楽デバイスに取って代わったが、最終的にはスマートフォンの登場で、膨大な音楽コレクションやその他の多数のアイテムと共に捨てられてしまうこととなった。

年配の人は、何でも捨ててしまう世代や、1000ドルもするスマートフォンの行き過ぎに愚痴をこぼすかもしれないが、無駄なものがない人生は、私たち自身にとっても環境にとってもよっぽど高い価値を持つ。今では、ゲームをするのにも、テレビを見るのにも、世界中を移動するのにも、何も「持つ」必要がないのはもちろん、所有する必要さえない。実家にある私のロンリープラネットのコレクションは、高価で場所をとるデジタル時代以前の遺物を垣間見ることができる数少ない存在だ。

スマートオプティマイゼーション

2000年代後半に、スマートフォンが、時計からゲームコンソールや懐中電灯まで全ての機能を果たすことができる、決定的な汎用パーソナルデバイスとしての地位を確立した途端、スマートフォン以外のデバイスは、消費者から見て説得力のある存在意義を求められるようになってしまった。その結果、それまでは機能向上がもう出来ないと思われていた、たくさんのデバイスの最適化が進められた。テレビの機能を向上させたGoogle ChromeCastのようなデバイスが誕生したのだ。他にも体重を測るとともに天気予報を教えてくれる体重計や、PhilipsのIoT照明Hue、SonosのサウンドバーPlaybarなどが登場した。全てのアイテムが、今日のわがままな消費者のニーズを満たすために作られた素晴らしい例だと言える。

しかし、未だに上手く機能していないシステムや、使用例が重複しているものが存在する。私は、家電製品の次の時代が、人々の考え方の変化から始まると考えている。これからは、私たちの住む世界に存在するデバイスが、あるシステムの中のノード(点)として機能していると考えなければならないのだ。

パーソナルデジタルシステム

TeslaやEchoの最も素晴らしい点のひとつが、これまで長い間当然と思われていた、物理的なものは時間と共に劣化するという原則を覆そうとしている点だ。ソフトウェアのおかげで、前日に置きっぱなしにしていたデバイスの機能が、翌日目覚めると、比べものにならないほど進化しているのだ。これは新しい考え方で、このような製品は、ソフトウェア、ハードウェアそしてパートナシップの全てを勘案してデザインされている。いくつかの企業は、ユーザーエクスペリエンスが、製品単体の快適さよりもシステムへのアクセスに依存していると遂に気づいたのだ。

私たちは、大手テック企業がつくりだすことのできる、商業的パートナシップの視点から物事を考える必要がある。

電子マネーの便利さは、それを受け入れる小売店にかかっている。ドアを開くことができるスマートウォッチから、モバイル搭乗券を受付けている航空会社まで、私たちは、大手テック企業がつくりだすことのできる、商業的パートナシップの視点から物事を考える必要がある。つまり、各デバイスを、独立した形ある存在としてではなく、あるクラブのメンバーになるための物理的な入会トークンや、アクセス権の所有証明として捉えなければならないのだ。

一方、デバイスを製造する企業も、デバイスそのものではなく、ユーザーが所属するクラブを生み出す企業として考え方を一新する必要がある。将来的にデバイスメーカーは、そのデバイスが何をできるかだけではなく、そのデバイスを所有することで何ができるか、所有者のクラブに属することでどのような気持ちになれるか?また、どんなユニークな機能を開発したかではなく、どんなユニークな経験をユーザーに提供しているか?という質問に答えなければならないのだ。

自動車メーカーでいえば、自動車の性能よりも所有者の経験を重視し、自社が自動車製造業界ではなくモビリティ業界にいるといった考え方に変えていく必要がある。デバイスの所有者は、どのように自分が持っているデバイス群が機能し合っているかや、各デバイスがどんなユニークな経験を提供しているか、現実世界とデバイスがどのように交流しているかなどの観点から、自分たちが利用しているシステムにとってプラスとなる情報を生み出していかなければならない。

携帯電話やスマートウォッチ、タブレットは、段々と現実世界と仮想世界をつなぐ、クラウド上にある私たちの生活のハブへのアクセスポイントとして機能しはじめている。つまり、デバイスが両方の世界における、私たちの移動、購入、決断といった行動を形作っているのだ。今こそこの業界にいる全ての人にとって、それぞれのデバイスがどうすれば素晴らしい製品になるかだけではなく、どうすればより簡単で、早くて、良い生活への素晴らしい入り口となるかということを考えるチャンスだ。

原文へ

(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter)