Blade Runner 2049
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ブレードランナー2049、公開近づく――オリジナルを超えないがやはり気に入った

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続編を必要としない映画ということならブレードランナーはその筆頭だろう。

だいいち続編はあのロサンゼルスをどうやって描写したらいいのか? なるほど現実のLAは2019年になっても無数の飛行車が飛び回ったり巨大な日本語の電光広告が壁面を彩ったりすることはなさそうだ。しかし今でもブレードランナーのオリジナルは暗くシリアスなSF映画の教科書となっている。

さらに重要なことだが、オリジナルのエンディングは両義性の典型だった(少なくともリドリー・スコット版やファイナルカット版はそうだ)。

それでも今週末に公開されるブレードランナー2049は続編が陥りがちな罠を巧みに避けた作品になっている〔日本での公開は10/27〕。ブレードランナー2049はオリジナルと同様、それ自身で完結した物語となっており、シリーズ化といった方向に動く要素はない。
また安易な謎解きもしていない。オリジナルのエンディングが両義的であったのとまったく同じように2049のエンディングも両義的だ。【略】

ブレードランナー2049でもオリジナルと同様に人々はレプリカントについて「人間の魂を持っていない」として劣等性を叫ぶ。しかしそれがレプリカントの奴隷化を正当化するためのウソであることがオリジナルの場合よりもさらにはっきりと感じられる。

2049のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はロサンゼルス市そのものより、市外の光景を創造することにいっそう興味を惹かれたようだ。市外はオリジナルでも存在が暗示されていたが、実際には描写されていない。新ブレードランナーではほとんど無人で環境破壊により荒廃した広大な風景が写し出される。皮肉なことにブレードランナー2049はオリジナルよりもフィリップ・K・ディックの原作、『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』 に近い雰囲気だ。

ここまで私はストーリーにも登場人物にもほとんど触れてこなかった。これは映画を配給するワーナー・ブラザーズがレビュアーに対してネタバレをしないよう強く注意を喚起しているからだが、ライアン・ゴズリングのブレードランナーがオリジナルのエンディング以来市外に隠れ住んでたハリソン・フォードのリック・デッカードを探しに行くということは紹介しておいてもいいだろう。

ゴズリングは新しい主役にふさわしい演技をみせた。寡黙さ、有能さ、突き放した態度のミックスはドライブの主人公に通じるものがあるが、この映画ではさらに突然の暴力と怒りのシーンがさらに多くなっている。ハリソン・フォードは2049でもスターウォーズの新作で帰ってきたときの「気難しい老人」のイメージからそう遠くない。しかしフォードの感情表現はさすがだ。

この映画は全体として静かに進行する。ビジュアルの美しさを鑑賞するのに十分な上映時間がある(163分!)。もしかするといささか静かすぎ、いささか長過ぎるかもしれない。しかし私は美しく物悲しいSF映画の大ファンだ。ただしオリジナルのエンディングでのデッカードとレプリカントのリーダー、バティーとの対決は映画史に記憶される瞬間だと思うが、2049はそこまでは到達していないようだ。

私は感情を揺さぶられるという以上に映画の出来栄えに感心した(こればヴィルヌーブ監督の前作『メッセージ』にも言えることだ)。ブレードランナーのオリジナルは続編を必要としないという考えは変わっていないし、続編のインパクトはオリジナルには及ばないだろう。

それでもこれは良く考えぬかれた素晴らしいSF映画だ。もちろん料金を払って見る価値は十分にある。

〔日本版〕日本での公開は10月27日(金)から。公式サイトには「オリジナルとの間に何があったのか?」という疑問を埋める渡辺信一郎監督によるアニメが掲載されている。

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(翻訳:滑川海彦@Facebook Google+