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親愛なるブロックチェーン派のみなさん。今はみなさんの時代だ。透過的で、強欲で、一攫千金型のスキームを捨て去り、現代の事実上の投機的安物株の賭博場から手を引いて、分散型の力を、世界の人々が求めているものに向けるのだ。ブロックチェーンの人々よ! あのフェイスブックの災厄から我らを救い給え! すべてを分散化し給え!

というのは、もちろん冗談だ。今のところは。

毎年、新しい「新たなるフェイスブック」が現れては、膨らんで、しぼんで、消えていく。どれもほぼ数週間の単位でだ。Diaspora、Ello、Mastodon、Veroを覚えておいでだろうか? 彼らは「ゲーム・オブ・スローンズ」の「壁」に挑んだ盗賊団だったと想像しよう。メンローパークの「冥夜の守人」に気づかれたが……、立ち去るまで完全に無視された。クリティカルマスを握った、200億人に貴重な機能を提供するための強力な兵器一式を生み出す高価で複雑なインフラ、それがフェイスブックの高さ210メートルに及ぶ氷と魔法の「壁」なのだ。

しかし、ConsensusやTokenFestといった人たちの会合では、陰でこう囁かれている。壁には秘密の抜け穴がある。それは根本的な欠陥だと。ユーザーが自分自身のデータを所持し、自分で暗号化し、自分で決めた場所に保管し、自分の意志によってのみ、また明確な許可の元においてのみそれを共有する分散型という黒魔術に直面したとき、フェイスブックの巨大なスケールによる優位性は溶けて流れてしまうという。それはピアツーピアで接続され、無数のノードを通してトークン型のプロトコルで仲介され支払いが行われる。そう、ご想像のとおり、これはある種のブロックチェーンだ。

今はまだホラ話だ。その根本的な欠陥は、非常に大規模な分散型ブロックチェーンという考え方にある。つまり、それは過剰であり、過大であり、誇大妄想的であり、時期尚早なのだ。彼らは、現存する秩序を丸ごと奪い取ろうとしている。金だろうが、金融セクターだろうが、民主的な統治だろうが、ソーシャルメディアだろうが、ともかく今みんなが頑張っている分野だ。おそらくその分野に関する白書では、トークンベースの分散型システムが、私たちがこれまで積み重ねてきたものに取って代わると書かれているに違いない。

親愛なるブロックチェーン派のみなさん。どうかやめてほしい。私もみなさんと同じく大きなことを考えるのが好きだが、物事を叩き壊すだけでは現実は変えられない。新たなビッグバンで何年間も燃え続けている松明を吹き消すことは不可能だ。現実的に考えるなら、熱心な仲間を集めて、小さく始めて、より大きな社会が目を向けてくれる魅力を身につけるまで、もしかしたら長期間にわたるだろうが、技術を磨き続けることだ。宿屋に冒険家たちを集めて、即席の軍団を作り「壁」に立ち向かうなどという行為を繰り返すのは、やめていただきたい。

とくに、一般消費者向けのアプリでそれを行うのは危険だ。「ブロックチェーンは新しいLinuxであって、新しいインターネットではない」と私は主張している。この数カ月間、そう主張する私の声は次第に強くなっている。ブロックチェーンの愛好家たちは、財布が膨らむ様子を見て、またどれだけの数のERC20トークンが存在するかを数えては楽しんでいるだろうが、実際、それには使い道がない。せいぜい投機的安物株ぐらいなものだ。一般人にとっては、何も面白くない。

比較的「マシ」なトークンであるUXも、根本的な問題を解決することはできない。インターネットでの少額取り引きは、分散型のトークンがまだ使い物にならなかったために失敗を繰り返したわけではない。その認識的負荷が大きすぎて、使用を継続できなかったからだ。トークンがあったからといって、それは一寸とも変わらない。もし、あなたが作った一般消費者向けの分散型のアプリを使って、一般のユーザーが意図的にトークンの貯蓄、消費、やりとりをし始めたら、その分散型アプリは失敗する。

しかし、それだけだろうか? この記事の冒頭に書いたことは単なる悪ふざけではない。親愛なるブロックチェーン派のみなさん。もしそれに気づいてさえいれば、今はあなたたちの時代だ。だが、みなさんの目的は中央集権型サービスに対抗することでも、それに取って代わることでもない。それは目的にはなり得ない。それでいいのだ。むしろ、現在目指すべきは、既存の中央集権型サービスを使いたくない人のための有効な受け皿だ。その人数の多い少ないは関係ない。

そもそもビットコインは、そういうものだった。中央集権的な金融に対する風変わりでちっぽけな代替手段だったのだ。それが10年の間に、びっくりするほどの生存力を得て、便利になり、自給自足が可能になり、世界的に成功した。しかし、それは今でも風変わりでちっぽけな代替手段に変わりはない。この先、想像できる範囲の将来にわたって、そうあり続けるだろう。

そんな、ビットコインが立てた波の中で、私たちは決済だけに留まらない分散型のアプリを開発するためのツールを得た。たとえばブロックスタックは、入門用チュートリアルの中に「分散型のマイクロブログ・アプリ」を含んでいる。COSMOSは、ブロックチェーン同士の相互運用が可能になるようデザインされている。チェーンの分散型ウェブ、つまり彼らが呼ぶところの「ブロックチェーンのインターネット」だ。そしてもちろんイーサリアムは、信じるか信じないかは別として、ICO専用ではない。任意の分散型コードを実行できる。さらに重要なことに、スループットを大幅に拡大できるように計画されているのだ。

私たちは、こうしたツールが集まって、たとえば小規模な分散型ソーシャルネットワークを構築するっといった状況を迎えつつある。いや、もうその時が来ているのかもしれない。それでも、クリティカルマスの問題にはぶち当たるだろう。しかし、それはアート集団、教会、マニアたちといった熱烈な支持者やコミュニティにフォーカスすることで解決できる。また、「一般人はトークンなんて使わない」問題もある。しかしそれも、各ノードにトークンを扱う管理者を置くことで対処できる。オンライン・コミュニティにかつて電子メール管理者やローカルのUsenetシスアドがいたのと同じことだ。一般ユーザーに必要なのは、URLとユーザーIDとパスワードのみ。そして、有料会員になるか広告を表示してもよいかを決断するだけだ。

荒唐無稽に聞こえるだろうか? そうかもしれない。しかし、私はかなりの量の最新の分散型システムのコーディングを行ってきたから言えるのだが、ツールもネットワークも、かなりいい線を行っている。もう一歩のところだ。もうすぐだ。ユーザーが自分のデータを自分で管理できるローカルなソーシャルネットワークが構築されたなら、それがノードの高次分散型ネットワークの一部となれば、すべてのコミュニケーションが共通のトークン化されたプロトコルで行われるようになる。それでやっと、まったく新しい、面白い世界が訪れる。そこではスケーリングの問題に頭を悩ませることがない。

だが私が思うに、実用的な代替手段になるために、フェイスブックほどのスケールを持つ必要はない。小さく考えよう。「壁」は動かない。しかし、その壁を乗り越える必要もないかもしれない。これからもフェイスブックは世界に君臨するだろうが、フェイスブックにみなさんの世界の一部を奪わせる必要はない。とくに、風変わりで、不格好で、可愛らしいほどボロボロの代替手段が現れ、そこに大きな感情的価値や実用的な価値が見い出せたなら、そしてそれがきちんと働いてくれたなら、「壁」を乗り越えなくても向こう側の人たちと会えるようになる。そのうち、あっちからも訪れてくるだろう。

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(翻訳:Tetsuo Kanai)