iPhone SEは後にも先にもアップルの最高傑作だった

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2018年のiPhoneの発表会で、私が唯一期待していたのは、新しいiPhone SEだった。それを提示しなかったアップルは、密かにSEを引退させてしまったようだ。それに関して、私は永遠にアップルを恨むこととなった。なぜなら、SEはアップルの最高傑作だったからだ。

もしあなたが、2015年にデビューしたSEを見送った多くの人たちの中の一人だったとしても、それは理解できる。iPhone6sは最新で最高性能で、もちろん、アップルがご親切にも6の新デザインのあらゆる場所に盛り込んだ問題の一部を解決した機種だった。しかし私には、SEが最高にピッタリ来ていた。

私は、4からのiPhoneのデザインを大変に気に入っていた。発表前にバーに置き忘れられてGizmodeにリークされてしまった事件で、記憶している人も多いだろう。あれは残念だった。なぜなら、今ではアップルはすべての機種で豪華な発表会を開いているが、あの機種だけが、それに相応しい製品だったからだ。

4は、完全に新しい工業デザインの美を確立していた。一目でそれとわかり、非常に実用的だった。オリジナルのiPhoneのステンレス製の背面と、ジェリビーンのような3Gも3GSにあった滑らかで丸いエッジも消えた(初代iPhoneはおそらくアップルが作った2番目に優れた機種だった)。

柔らかい曲線はカチッとした線と妥協のない形状に置き換わった。周囲を金属のベルトが取り囲み、ほんのわずかな段差でガラスの面と接している。それが、画面とベゼルを覆う黒いガラス面との境界を明確にして、どの角度から見ても光沢のある輪郭が浮かび上がるようになっている。

カメラはフラットになり、ホームボタン(お懐かしい)も、本体に埋め込まれる形で、少しだけ凹んだほぼフラットな形になり、本体の両面は完全に平らになった。それに対して、サイドボタンはしっかりと出っ張っている。音量ボタンは、よく目立つ丸い形となり、ミュートスイッチは、簡単に見つけられるが、誤って切り替えてしまう心配がない。電源ボタンは、人差指で楽に操作できる位置にある。これらの機能は、使い勝手の良さをダイレクトに示している。物事を、より簡単に、よりよく、より扱いやすくしながら、ひとつのオブジェクトとしての魅力的で一貫性のあるデザインに仕上がっている。

iPhone 4と比較すると、サムスンの「iPhoneキラー」と呼ばれる新しいGalaxy Sを含む他のすべてのスマートフォンは、プラスティックを多様した安っぽさが目立ち、デザインに一貫性がなく、よくてウォークマン程度の感じだ。私は、単なるアップルファンとして話しているのではない。その当時、私はiPhoneユーザーではなかったのだ。大好きだったG1を、今でも使っていたかも知れない。それは美女と野獣の物語だ。

5のデザインには、その縦長の画面に違和感を持ちつつも、なんとか使い続けることができたほど強力だった。そしてその世代から、裏面の残念な傾向、つまり割れやすいという問題が軽減された。

しかし、ツートーンのグレーのiPhone 5sには、基本的にもう改良の余地がなかった。その4年後、アップルは、そろそろ変化を加える時期だと感じたのだろう。ところが残念なことに、アップルが行なったのは、あらゆる個性を排除することだった。追加されたのは、画面の面積だけだ。

6は、私にとっては、単に醜い機種だった。当時のAndroidのスマートフォンを思わせる、どうしようもない退屈なものだ。Androidよりは少し高性能というだけで、あとは同じだ。6sも同様に醜かった。そして7から8にかけては、デザインに個性として残っていた部分まで削り落とされてしまった。実用性のためにとカメラの出っ張りがどんどん大きくなるという先祖返りが起こり、ヘッドホンジャックも消えてしまった。Xは、少なくとも、ちょっとだけ個性的だ。

最近の話に戻るならば、それは6sの後の、アップルがSEを発表したときのことだ。SEは「スペシャル・エディション」の意味であり、Macintosh SEへのオマージュでもあった。しかし皮肉なことに、その最初のSEは「システム・エクスパンション」(システム拡張)という意味だったのだが、新しいほうのSEはその逆だ。基本的に、iPhone 6sを5sのボディーに詰め込み、カメラとタッチIDセンサーとプロセッサーを改良したものだ。たぶんこれは、デザインが大きく変更されて、びっくりするほど大きくなった最新機種への乗り換えを躊躇している人たちへの救済措置だ。

初期のアップル製品を買ったことがなく、斬新さよりも使いやすさを求める人たちを改宗させるには時間がかかる。アップルのそうした事情は理解できる。だから、その難しい乗り換えを、少しだけ楽にする方法を与えたというわけだ。

SEは、懐古趣味的な、新しいものが嫌いな人たちだけでなく、小さなスマートフォンが欲しかった人にもアピールした。私の手は、とくに大きくも小さくもないが、このポケットに入れやすいサイズは気に入った。また、新しいものに安定したデザインを取り込んだことでは、多くの点で好感を持った。

傷つかないようにカメラをフラットにしたか? マル。普通に押せるホームボタンか? マル。フラットで左右対称のデザインか? マル。握りやすいエッジがあるか? マル。専用ケースが大量に存在するか? マル。私は長い間、これを使ってこなかったが、SEは最高の機種だ。

その当時、iPhone SEは、アップル製品の中でも大変にコンパクトで見栄えのよいものだった。機能面でも、ほとんど妥協がなかった。ひとつだけ注文をつけるなら、サイズだ。ただ、それは好みの問題だったが(今でもそうだ)。

それは、アップルがデザインした最高の作品だった。それまでに開発されたなかで最高の技術が詰め込まれていた。それまでに作られた中で、最高のスマートフォンだった。

敢えて言うあら、それ以降も含めて、あれは最高のスマートフォンだった。6以来、アップルは、ユーザーの気を引こうと、漂い、さまよっているように私には見える。それは、ずっと昔の2010年に、iPhone 4のデザインとグラフィック性能で人を惹きつけたのと同じ方法だ。アップルは、最先端になるまでデザインに磨きをかけた。しかし、また一歩先にジャンプするだろうというみんなの期待をとは裏腹に、アップルはジャンプせず、爪先立ちになってしまった。金のガチョウを動揺させたくなかったのだろう。

SEは、超えられないデザインの背中に乗って、勝利の最終ラップをアップルに走らせた機種だったと私は思う。認めたくない気持ちはわかる。この長い年月の間、1000ドルもする旗艦機種ではなく、10年近く前に作られた機種を欲しがる人はいなかった。その旗艦に関してと、どうしても言っておきたいのは、外観のデザインに妥協があるだけでなく(できるなら私はノッチ付きのスマートフォンは持ちたくない)、タッチIDや3.5ミリのヘッドホンジャックなど、多くの人が愛用している実用的な機能において時代を逆行している点だ。他の機種でも、この「ユーザー・アンフレンドリー」な対応がなされている。

だから、私はアップルに失望したけれども、意外には思わなかった。結局、私はもう何年も失望し続けているのだ。それでも私は、SEを持ち続けている。使える限り、使っていこうと考えている。なぜなら、これはアップルの最高傑作だからだ。そして、今でも最高のスマートフォンだからだ。

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(翻訳:金井哲夫)