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インターネット民族国家を成立させるための要件は、デジタル遊牧民か、ブロックチェーンか?

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インターネットは一種のコミュニティであることは間違いないが、民族国家になることは可能なのだろうか?私は、そのことについて、今年一年、あれこれじっくり考えてきた。というのも、デジタル遊牧民が勃興し、ブロックチェーンコミュニティの一部に、深く根付いたリバタリアン的な精神が目立つようになってきたからだ。同じように感じているのが私一人ではないのは確かだ。何週間か前にNorwest Venture PartnersのMatt Howardにインタビューしたとき、彼はUberがIPOするときには、「民族国家」の状態に達することができる数少ない企業の1つであると(自ら)述べていた。

明らかに、インターネットは、同じような考えを持つ人々の、数多くの多様なコミュニティにとって母体となる存在だ。しかしどうすれば、そうしたコミュニティは、異質なものの集まりから民族国家にまで変容できるのだろうか?

この疑問は、1983年に出版された『Imagined Communities(日本語版:『想像の共同体』)』を思い出させる。それは、これまでに出版された社会科学を扱った本の中で、もっとも賞賛された(そして論争をまき起こした)ものだ。当然ながら、それはもっとも頻繁に引用されてきた。Google Scholarによれば、ほとんど9万3000件に近い引用があったとされている。

著者のBenedict Andersonは、政治学者および歴史学者であり、ナショナリズムはどこから来るのかという単純な疑問について熟考している。我々は、すべての戦友に直接会ったこともなく、これからも会うことはないだろうに、どうして旗のようなシンボルによって他人と連帯することができるのか? なぜ、すべての国は自分たちを「特別」だと考えているのか。どこからどう見ても、(国家元首、人種、国旗、その他含めて)みんな同じに見えるのに。そして、民族国家というものは、どうしてこんなに最近になって発明されたのか?

Andersonの答えは、その本のタイトルに示されている。人々は、自分たちのコミュニティと、それが擁する価値観や人間を想像することができれば、国家を形成することになる。そして、その仮想的な共同体のメンバーと、そうでない人々を隔てる境界(物理的にも認知的にも)を画定することができるのだ。

しかし、コミュニティを想像するには、そのコミュニティを結束させるためのメディアが必要となる。印刷機の発明は必須だったが、国家の勃興には、その地域特有のメディアの発展が不可欠だとAndersonは言う。たとえば、カトリック教会のラテン語に対するフランス語のようなものである。辞書編集者は、情報を収集して辞書やシソーラスを出版し、印刷機は、資本主義による指図の圧力を受けながら、多くの本が詰まった本棚を生み出した。それらの本には、ほんの数十年前には認識の中に「存在」すらしなった人々の物語や神話が記述されていた。

民族国家自体は、スペインとポルトガルの帝国が衰退した後、南米で最初に発生した。Andersonは、それらの国家がどこに起源を持つのか、社会学的見地から論じている。そうした国家の官僚、弁護士、専門家といった地方のエリートの間の頻繁な情報の流布と、彼らの元の帝国の首都には戻れなくなったという状況もあって、大西洋の反対側にいる人達よりも互いに多くの共通点を持つことに気付いた人々のコミュニティが生まれた。

世界中の他のコミュニティが、それぞれ世界の中でユニークな位置にあることを理解し始めるにつれて、豊富な書籍や新聞の印刷文化を通じて、彼らはこれらの初期の民族国家モデルを取り入れることになる。我々は、収束する進化を見ているのではなく、世界中で実施されている、国家を組織するための1つのモデルのクローンを見ている、というわけだ。

実際のところ、これがこの200ページをわずかに超える、ときおり誇張はあるとしても、非常に読みやすい、薄めの本の論旨の心臓部なのだ。それらのページの中には、他にも数多くの本質的な指摘と熟考が散りばめられている。それらを完全に把握するためには、古本を手に入れて読み込んでみるのがいちばんだ。

とはいえ、私の目的としては、Andersonの論点が、インターネットの民族国家にもうまく適用できるかどうか、ということに興味が向く。確かに、インターネット自体が主権的な存在であるという概念は、それが発明されてたときからずっと指摘されてきた(もしまだなら、John Perry Barlowが書いた声明文を読んでみるといい)。

インターネットは、一連の想像上のコミュニティに過ぎないのではないか? subredditsは、文字通り、民族国家の種子なのではないだろうか?Andersonが印刷機や「印刷資本主義」について触れるたびに、私は「press」という言葉をWordPressに置き換え、印刷資本主義を、広告、あるいは監視資本主義に置き換えずにはいられない。我々は、数世紀前に最初の民族国家を生み出したのと同じメディア革命を経験しているのではないだろうか?

そうかもしれないが、それは過度に単純化し過ぎた比較であり、こうした民族国家の重要な起源のいくつかを見逃してしまうものだ。

写真はGetty Imagesにあるmetamorworksによるもの

重要な問題の1つは、民族国家は時間軸上の断裂ではなく、むしろ既存の権力構造と連続するものであるということ。この点に関して、Andersonの説は確固たるものだ。南米では、民族国家は植民地統治から生まれた。権力を失うことを恐れたエリート達が、芽生え始めた民族国家を利用して彼らの利益を守ったのだ(Andersonはこれを「官僚的ナショナリズム」と呼んでいる)。アンダーソンは、このパターンをあちこちに見出している。それは植民地時代の政府に限ったものではなく、中世後期の封建体制にも見ることができる。

そうした目でインターネットを見直してみると、エリートに相当するのは誰だろうか?おそらく、それ自体が本質的に帝国であり、「民族国家」の状態にある会社、GoogleやFacebook(そしてUber)がそうだろう。私としては、それほどの類似性はないようにも思えるが。

しかし、さらに大きな問題もある。Andersonの世界では、言語が、民族国家がその市民を1つの想像上のコミュニティに結びつけておくための決定的な手段であるとされている。フランス語のないフランス、英語のないイギリスを想像するのは難しい。我々が我々のコミュニティを連想するためのシンボルは、そのコミュニティのシンボルそのものであり、それこそがコミュニティに対する不可欠なフィードバックループを形成し、差別化を強化する自己参照にほかならない。

だとすれば、ちっぽけなsubredditなどは、潜在的な民族国家としては除外されることになるだろう。しかし、それはまた別の問題を提起する。プログラマーはどうなのか、ということだ。

たとえば私がPythonでコードを書く際には、その言語を使い、その言語でコミュニケーションを取り(信じてもらえないかもしれないが)、その言語の選択による価値観を共有するグループの人たちとつながることになる。実のところ、ソフトウェアエンジニアは、プログラミング言語の選択を自分のアイデンティティと強く結びつける傾向がある。「Pythonの開発者」や「Goのプログラマー」であると言う方が、「アメリカ人」や「中国人」というよりも、その人のことをよく表すということもまったく納得できる。

そのことをブロックチェーンに注意深く接続することを考えれば、がぜん興味がわいてくるだろう。自律的に「富」を分配できる技術という意味での話だ。そこには、忽然としてソフトウェアエンジニアの想像上のコミュニティが浮かび上がってくる。そこで彼らは自分たちの利益にかなう官僚制度を作り出すことのできる独自の「言語」を話し、彼らすべてを(インターネットを通して)結びつけるメディアを手にしている。少なくともAndersonによるレシピに従えば、材料はすべて揃っているのだ。

私はこの方向に深く分け入るつもりはないが、Andersonの説に驚くのは、彼が人々の物理的な凝集について、ほとんど議論していない点だ。物理的な境界線を想像することは、コミュニティにとって非常に重要であり、各国における地図の発達は、歴史的な発展過程に見られる共通のパターンとなっている。しかし地図は、本質的に単なるシンボルであり、「この場所は我々のものだ」ということを想起させるものではあるが、それ以上のものではない。

実際、民族国家はいつも国境を逸脱する。アメリカ人は、全世界的な課税は普通のことだと思っている。フランスは、国民議会に海外地域の代表の議席を確保している。それによって、かつての帝国すべてに属していたフランス国民が投票して、その国の立法府の代表を選出することを可能にしているのだ。そして、先日カナダでHuaweiのCFOが逮捕されたことを聞き及んだ人は、今日の「司法権」には物理的な国境はほとんどないことを思い知らされることになる。

インターネットやその住人が民族国家になることを妨げる障壁は、物理的なものではなく認知的なものだろう。単にコミュニティを想像するだけでなく、それを最優先のコミュニティとして想像する必要がある。人々が、現実世界の国家に対する忠誠心や愛国心よりも、そうしたデジタルコミュニティへの忠義を優先させるようになったとき、私たちはインターネット民族国家を目にすることになるだろう。そうしたコミュニティには、すでにいち早く信奉者となった人たちがいて、まさにそのように行動している。残る問題は、それ以外の支持者も力を合わせて、想像の(サイバー)空間を創造しようとするかどうかである。

画像クレジット:iLexx/Getty Images

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(翻訳:Fumihiko Shibata)