書評:『FACTFULNESS 』賢い人ほど世界の真実を知らない ――TED講演再生3500万回のロスリング博士による世界の見方

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著者が人々にショックを与えるために講演でよく使う質問の例が裏帯に載っている。「世界の1歳児でなんらかの予防接種を受けている子供はどのくらいいる? A:20%、B:50%、C:80%」

正解できただろうか? 仮にこの質問には正解できたとしても、著者が次々に挙げる例の半分に正しく回答できた人はごく少ないはずだ。著者はTED講演で「世界のトップクラスの金融関係者、ジャーナリストなどに尋ねてきましたが、ひどい結果です。チンパンジーに聞いたほうがマシなんです」と言って笑いを誘っていた。

3択問題を単に当てずっぽうに回答するなら正答率は33%になる。仮に正答率が8%だったとすれば「チンパンジーの4分の1の正答率」ということになる。ではなぜ十分な教育を受けた人々が「チンパンジー以下」になるのか? これが著者が提起する問題だ。

著者はスウェーデン人の医師でカロリンスカ医大の教授を長年つとめた。モザンビークで新しい病気を発見するなど大きな功績をあげており、医療と公衆衛生に関する世界的権威だ。著者は学生に数が少なかったり所得が低そうだったりする難病患者向けの医薬品が開発されない理由を尋ねる。学生は「医薬品メーカーが強欲だからです。メーカーの連中をぶん殴ってやればいい」と答える。著者は「そのメーカーのCEOはよく知っているから今度会ったらぶん殴ってやろう。そうするとメーカーは心を入れ替えて難病向けの医薬品を儲からないと分かっていても開発するようになるかな?」と尋ねる。

学生は「それなら悪いのは金持ちの株主どもです」という。著者は「金持ちは値動きの少ない製薬メーカー株なんかに投資しないよ。こういう固い株に投資してるのは誰だと思う?」とさらに尋ねる。そして製薬会社の主要な投資家は年金基金だと明かす。「つまりきみらのおばあちゃんの年金の原資だ。こんどおばあちゃんに会ったらぶん殴ってやるといい。お小遣いをもらっていたなら返すんだね」と諭す。語り口は軽妙だがここには非常に困難な問題が潜んでいることが分かる。

先週、ドイツの進歩派を代表するデア・シュピーゲルのスター記者が記事捏造を常習していたことが発覚して解雇された。反トランプ記事を書くことが目的になるうちに捏造という麻薬に手を出してしまったようだ。捏造は論外だが、ロスリング博士によれば、世界に関する事実認識で間違いがいちばんひどいグループにマスコミ関係者が入っていたという。

つまりニュースを読まないのが認識の誤りを生むわけではない。多くのジャーナリストの世界認識自体が間違っているのだという。ジャーナリストは、紙媒体であれオンラインであれ常に記事が注目され読まれることを目指す必要がある。これはやむを得ないが、注目され読まれること自体が目的になってしまうと危険だ。結論があってそれに合わせて記事を書くという本末転倒が生じる。そうなると知識はどんどん偏っていく。捏造まではほんの一歩だ。

本書では多数の具体例がわかりやすいチャートで説明されているので読むのに苦労するところはあまりない。世界の現状に関する正しい知識を得ると同時に、自分たちがなぜ間違うのかを考えるために非常に良いきっかけになると思う

優れた本だし、翻訳者も適任なのでぜひお正月休みにお読みいただきたい。脚注を抜いても352ページとかなり大部だが、時間の許す範囲で興味のあるところだけぱらぱらと拾い読みしてもいいと思う。表紙裏の見返しには所得、寿命、人口が国別にグラフ化されている。これを眺めているだけでもさまざまな感想が湧いてくる。

ところで著者が世界の専門家多数に問いかけた12の質問で「チンパンジーに勝った」人の割合はわずか10%だったという。「無知」が問題なのではなく、「誤った思い込み」が深く刷り込まれていることが本当の問題だった。われわれは何か見聞きしたとき、反射的に主張を始める前に「ソースは何か?」、「そのソースは十分信頼できるか?」を振り返る習慣を身につけるべきだろう。いつもできているとはとうてい言えないが、ともあれ努力してみたい。

著者のハンス・ロスリング博士は昨年2月にすい臓がんのため68歳で急逝し、子息のオーラ・ロスリング、その妻のアンナの両氏が原稿を整理補筆して本書に仕上げたという。訳者の上杉周作氏はカーネーギーメロン大学の学士、修士。Palantir Technologiesのエンジニアなどを経てフリーランス。関美和氏は慶応大学卒、ハーバードビジネススクールMBAで杏林大学外国語学部准教授、訳書に『ゼロ・トゥ・ワン』などがある。本種は紙版が店頭に出ているが、1月1日からは電子版もリリースされる。

FACTFULNESS ファクトフルネス 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ハンス・ロスリング(日経BP刊)