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インターネットの迷惑な人たちには思いやりを

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朝目覚めてスマホをチェックすると、またしても激しい非難のメッセージが現れる。どこかのメチャクチャな人が、怒り狂って侮辱的なことを言い立てている。冷静に考えるとこれは、有害な悪行だ。人を卑下し、人間性を否定し、人のあらゆる側面の自由や行動を抑え込もうとしている。

その猛烈な怒りの合唱に反論の声を上げる。当然だよね?でも、その人たちは自分たちが間違っているとは決して認めない。彼らはあまりにも無知であり、自らの愚かさに凝り固まっている。だから、彼らが世間から疎まれ、大勢の敵がいることを知らせてやる必要がある。

「そんな人たち」と聞けば、それがどんな人たちを指しているのか、誰でもわかる。あらゆるニュースサイトやテレビのチャンネルに登場する、名前を聞いただけで怒りがこみ上げてくる不愉快な面々に賛同する人たちだ。国境で展開されている許しがたい惨劇の元凶であり、街で起きている暴力事件の元凶だ

「そんな人たち」でも、根っからの悪人はひと握りだと言える。想像でき得る限りの最悪の状況は、5年前よりも悪化している。それでも、悪人はごく一部だ。大多数は、養育歴や無知の囚人であり、自らの困窮の犠牲者であり、ただ猛烈に難癖をつけているだけだ。しかし彼らには、ひとつの共通点がある。思いやりを持てないことだ。

彼らと距離を置くことは簡単だ。むしろ近づくのが難しい。みなさんが実際に関わっている圧倒的大多数の人間は「我々」だからだ。

私たちがすべきは、すべての人に対して行っているのと同じように、「彼ら」にも思いやりを持つことだ。同情ではない。同情はまったくの別物だ。宗教も、精神も、道徳も、あるいは単なる信条すらも、すべての人に思いやりを持てと教えている。しかし、思いやりという考え方を持てない人たちを、どう思いやればいいのだろうか? 他人を非難せず、むしろ励ます人たちは、その境界線に置かれたとき、どうなってしまうのか?

インターネット上の怒りは、そのひとつひとつが思いやりを漉し取ってしまうため、私たちと「彼ら」との間の溝は、さらに広く深くなってゆく。そのウイルスのような怒りは、ボットが生み出していることは理性ではわかっている。それは「あらし」やもっと悪辣な連中プログラムしているもので、「彼ら」全員の意見を代弁しているものではない。

しかし、新たな怒りに接するごとに、理性とは別の感情で、そこには「彼ら」がいるという思いを強めていってしまう。彼らはもはや、分別の範囲内で意見が異なる人たちとは認識されず、そこには「私たち」か「彼ら」しか存在しなくなる。

こう考えればわかるだろう。もし、理論上「我々」に含まれる人たちが、思いやりのない目に余る態度を取ったり、他人の人生全体をその人の最悪の瞬間をとらえて評価したり、実際の成果を無視して手順の純粋性にこだわるようなことがあっても、その言い分を聞くことができるだろう。

「我々」と「彼ら」との間の溝が深まれば、双方の側の結束が高まる。そして、「彼ら」側にはいるが、なんとなく居心地が悪く、さらには境界線上で独自の考えで行動したときに自分の身に起きることに恐怖を感じている人は、反論がしにくくなってしまうことは明白だ。だが反論は重要だ。当然、反論すべきだ。とは言え、人は弱い。楽なほうに流されるのが常だ。

私たちは、インターネット上で起きている分断は、現実世界で引き起こされている悲惨な問題とは違うと、ある程度は理解している。現実の問題は私たちに深く関わってくるが、インターネットの場合はそうでもない。インターネットは、聞こえのいい言葉に身を隠すことを学んだ巨大な組織的不公正が、どちらの側にも気付かれないように、うまい具合に「我々」と「彼ら」の間の怒りがそちらに向かないように、冷静に舵を操作していることも、なんとなくわかっている。

しかし、よく眠れなくて、疲れが溜まっていて、このベッドから出るなり、すでにやることが山積みで、不満だらけの職場で顔を出さなければならない予定が詰まっていて、心配ごとだらけでまったくやる気が起きない状態のとき、すべては巨大な組織的不公正のなせる業なのかも知れないが、膿が溜まった悪性の骨まで届く深い傷は、今すぐ対処しなければいけない。この邪悪な事態の元凶は彼らであり、彼らはそれに立ち向かい、阻止する責務を負っている。

そのため私たちも、その怒りのコーラスに対して声を上げなければならない。境界線で現実に戦っている人たちに、もっと力を貸すべきだ。ベッドから出る前に考えて欲しい。このインターネット上の大きな分断は、どれほど現実を映しているのか、またどれほど現実を先取りしているのか。「彼ら」は本当に正気を失っているのか、道義的なコンパスが完全に壊れてしまっているのか。

そこまで行っていなかったとしても、私たちに何ができるのか。考えないわけにはいかない。

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(翻訳:金井哲夫)